水のなかった数日間
3年前の震災の時、つくばでも4日間水の供給が途絶えていた。
震災の当日は研究所の休憩施設で泊まり、自宅に戻ると、電気と水道が復帰していた。
早速トイレ(大)に入った後、お風呂に入って出たところまではよかったが、その後すぐに洗濯物を洗おうとしたら、エラーが出てしまった。
何かと思ったら、蛇口をひねっても水が出なくなっていた。
トイレは行っていたのでとりあえずは大丈夫だったが、いつまで待っても水道は復旧しなかった。
電気はついていてネットも使えたので調べてみたら、どうやら霞ヶ浦の取水のところが震災でやられたらしいと書いてあった。
では、なぜ短期間だけ水道が使えたのか、今となっても分からない。
水道局の人ががんばってくれていたのだろう。
電気、ガス、水道はいずれも必要なインフラだが、水道がないのが一番つらかった。
なんと言ってもトイレにいけないのがきつい。
小の方であれば近くの公衆トイレで済ませることもできたが(水はやはりでなかったが)、大の方が困った。
その点、実家のトイレはくみ取り式なので、こういうときには能力を発揮したことだろう。
仕事で茨城を離れていた妻に連絡してみたら、千葉県では水道も通っているとのこと。
つくばエクスプレスが動いていたので千葉県まで行ってみたら、普通に水道が出る。
非常にありがたかった。
水が自由に使えるのがこれほどありがたいとは思わなかった。
つくばに戻ってからも、何度も蛇口をひねっては水が出なくて落胆し、またしばらくしてから蛇口をひねることを繰り返した。
結局、水道が復旧したのは月曜日であった。
平日とはなったので研究所に出勤したが、当然実験はできず、壊れた試験管やメスフラスコの片付けや散らかった部屋の整理に追われた。
最初はトイレを気にしながらの作業であったが、午後には使えるようになってすごく安心した。
インフラの重要さとありがたさは、なくなってみて始めて実感できるものとよく分かった数日であった。
しばらくは蛇口から水が出るたびに感謝したものであった。
何日かすると感謝することを忘れてしまったが。
3年前
震災からもう3年になる。つくばでは大した被害は出なかったものの、あの時の衝撃は今でも覚えている。
震災の前の日、申請していた研究予算が採択されたという連絡が来て、3月11日の午後は米粉からのDNA抽出の方法について、論文を読んでいた。
試薬の準備をしようとしたとき、地震が始まった。
同じ部屋にいた人が、「大きくなるぞ!本棚から離れて!」と言ってきた。
まさか、と思っていると一気に揺れがきつくなり、しかもいつまでも揺れが続く。
ふと外を見ると、池が波打って水が周りに飛び散っていた。
すさまじい揺れがひたすら続き、建物が崩れ落ちるのではないかとパニックになって机の下に慌てて潜り込んでずっと震えていた(建物は築40年くらいと古い)。
ようやく収まった時には放心状態であった。
運のよいことに、半年ほど前に耐震工事をしていたので、本棚は倒れず、1冊の本も落ちていなかった。
しかし、実験のサンプルは落ちたりして、部屋はかなり乱雑なことになっていた。
余震が何度も続くし、危険で実験どころではなかった。
精神的にも研究する気分にはさっぱりならない。
外に出て見ると、けっこう多くの人が建物から出ていた。
スマホを持っていて調べてくれた人がいたのだが、震源が宮城と聞いて驚いた。
茨城南部が震源とその時まで思っていた。
電気は地震の時に止まっていたが、しばらくしてついたので、休憩室のテレビを見ることにした。
津波が来るという予報であったが、テレビに映っている町並みは、特に大した被害は見えなかった。
津波もたいしたことないだろうと思って、実験室の片付けをしていた。
でも、余震が続くので片付けも諦めて休憩室で情報を得ようと思ってテレビをつけてみたら、信じられないものが見えた。
津波の映像であった。
あれが現実のものとは思えなかった。
船が流され、車が流され、家までが流されていく。
現代の日本でなぜこのようなことが起きるのか、信じられなかった。
しばらく呆然とテレビを見た後、研究所内を見て回った。
こちらでは誰も怪我もなかったらしい。
5時くらいまで少しだけ片付けをしたが、他の人も帰ると言うことで、自分も帰った。
5時半頃帰宅すると、何か様子が変である。
同じ宿舎の人がいたので話を聞いてみたら、電気、ガス、水道の全てが止まっているとのことだった。
職場はなぜか電気が通じていたし、帰宅の時に大通りだけ通ってきたので信号が普通に稼働しており、停電していたことに気がついてなかった。
話をしているうちに暗くなってきた。
部屋に入って懐中電灯を探すが見つからない。
たちまち暗くなってくるので探すのを諦めた。
暗いし寒いので、もう一度職場に戻ることに決めた。
今度は別の道にしたのだが、これは間違えていた。
信号機が停止しており、警察官が誘導するものの、あちこちで渋滞が発生していて動きが非常に遅かった。
該当はないので周りは真っ暗で運転もしづらく、事故を起こさないようにびくびくしながら職場に向かった。
職場はまだ電気があり、戸棚に入れておいたカップ麺を食べて夕飯とした。
職場も断水はしていたが、ポットにお湯が残っていたので助かった。
何もする気が起きず、ずっとテレビを見続けていたが、午後10時頃に、もしかしたら自宅(公務員宿舎)も電気が回復しているかもと思って帰った。
しかし、まだ停電していて、あたりは真っ暗であった。
歩いている人も自転車の人もおらず、ゴーストタウンに迷い込んだような感じであった。
今から思うと、巨大地震のあった直後に停電していたのに車で動き回るのは間違えていたように思う。
でも、あの時はじっとしていることができなかった。
また職場に向かったが、途中のコンビニがなぜか開店していたので、スナック菓子を買った。
この時点で弁当類は全く残ってなかった。
まさかあの後、ずっと品不足が続くとは、この時は全く想像してなかった。
職場に行くと、所長と、数人の職員がいた。
所長はテレビで写っていた津波の映像を見て、「これは1万人は死んだだろうな」と言っていた。
自分はその時は、そこまで多くはないだろうと思っていた。
後になって、所長の方が正しかったことを知ることとなった。
食料自給率を下げたのは誰か?
農林水産省の 「日本の食料自給率」のページを見ると、2012年の食糧自給率は39%となっている。先進国では最低ランクらしい。
これを農政の失敗を全ての原因とする人が多いが、自分としては違和感を感じる。
これまでの農政が全て適切なものであったかというと、必ずしもそうではないだろう。
しかし、自分たちにも責任があるかと思う。
食料自給率が下がったということは、要は外国の食品を多く買うようになっているということだ。
誰が買っているかというと、自分たちである。
食品を買うときに、強制的に外国産を買わされている人は多くないだろう。
たいていは、自分の意思で選んで食品を買っているはずだ。
食事が洋風化して小麦など外国産のものを買うことが増えたこと、安いものを求めて安い外国産のものを買うようになったことが、国産品の購入頻度を下げたのである。
原因の一部は政策にあるのかもしれないが、結果としては自分たちが自給率を下げていると考えている。
農政がどんなものであれ、自分たちでもっと国産品を買っていけば、食料自給率は上がる。
食料自給率を上げるには、農政を批判することでなく、自分の食生活を変えることが一番重要ではないだろうか。
多少値段が高くても、国産の食料品を買えばよいのだ。
他人を批判するより、まずは自分からできることをするべきだと思う。
太っている人は、なるべく国産品だけで食事することを進めたい。
国産の方が高いから、同じ金額では食べられる量が減ることだろう。
そうすれば、自然と摂取カロリーが少なくなってやせられると思う。
それにしても思うのだが、もし理想的な農政が日本で行われていたとしたら、食料自給率はいったい何%になっているのだろうか?100%に達することはできるのだろうか?
そしてその時の政策はどのようなものであり、一体その時の予算はどれくらい必要なのだろうか?
誰か教えてほしいと思う。
日本酒の酒税を下げてほしい
日本酒の酒税を下げてほしいと以前から思っている。
この50年、米の消費量が減り続け、1962年の消費量(約118kg/年・人)の約半分となっている。
日本農業のためにも、米の消費をもっと増やすべきだと思っている。
しかし、食が多様化していることや高齢化が進んでいることなどから考えると、以前のように米の消費量が拡大することはあまり期待できない。米粉による米の消費量拡大も難しいだろう。
そこで思ったのは、日本酒でもっと消費できないだろうかというものである。
酒類総合研究所のあるページを見ると、純米酒の精米歩合を77%とすると、玄米1kgで1升のお酒ができると書いてある。
つまりは、晩酌1回あたり2合の日本酒を5回飲むだけで、1キロの消費拡大となる。
しかしながら、日本酒を飲む人は減っている。
国税庁の酒のしおりによると、1970年の日本酒の消費量は2010年の消費量の約1/3となっている。
知り合いに聞いてみると、日本酒は高いということをよく聞く。確かに焼酎とかの方が安い。
日本酒がまずいということはあまり聞かないので、値段の問題さえ解決すれば、もっと消費量が増えるのではないかと思う。
財務省の酒税の税率のページを見ると、日本酒の税率はけっこう低いようだが(1リットルあたり120円)、日本酒の酒税をもっと低くしてほしい。
それによって日本酒の消費が増えれば、米の消費も増え、農地の維持のためにもなるかと思う。
もし何らかの理由により米が不足するようになれば、酒米を醸造に使わず、食用に回せばよい。
酒米の食味についての論文は見つけられなかったが、陳らの論文によると、デンプンのアミロース含量がコシヒカリと高いことから、おそらく食味はやや悪いだろう。
それでも3、4%程度の差であるから、食べられないというレベルではないだろうと考えられる。
日本酒にも向いて、食べてもおいしい品種を誰か作ってくれないものかと思う。
秋が一番やせやすい?
自分は体重と体脂肪を測定している(毎日ではないが)。
2012年と2013年は以下のような結果となった。
どちらの年度でも、10月くらいが体重が最も下がっていた。
以前に、どこかのテレビ番組で、寒くなると体を温めようとして基礎代謝が増えるとか聞いたことがあった。
しかし、自分のデータからすると、一番寒い時期にはむしろ体重が増加してしまっていた。
もちろん12月とかは忘年会が何回もあるので体重が増えるのはしょうがない。
しかし、それを含めても体重の増加が大きいように思ってします。
実は寒すぎると逆に代謝が落ちるのではないかと考え、ちょっと調べてみた。
そしたら、「Energy metabolism in humans at a lowered ambient temperature」というちょうどよい論文が見つかった。
外気温が16℃と22℃で代謝を調べた結果をまとめた論文のようであった。
温度が低い方が基礎代謝が増えるらしく、食事を食べたときの代謝(DIT、diet induced thermogenesis)も増えるらしい。
寒すぎると代謝が落ちるのではないかという、自分の疑いは否定されてしまった。
しかし、温度が低い方が、食欲が増して食べるカロリーが増えたことも示されていた。
確かに、冬場の方が普段もよく食べていたようにも思う。
なんか引っかかるところがあるが、冬に太っているのは間違いないので、とりあえずは来年も冬に食べ過ぎないように気をつけようと思う。
とりあえずは年末年始食べ過ぎないようにしないといかん。
ドライブスルーの郵便局
仕事に行った妻を迎えに、自宅より車で駅に向かっていた。
すると、郵便局の前の道端に、大きな緑の袋を持った人が3人立っていた。
郵便局員である。
何をしているかと思ったら、車が局員の前で止まって車の窓から何かを袋に入れていた。
車を運転していたので詳しくは見ていないが、おそらく年賀状だったのだろう。
道路で年賀状受付のドライブスルーをしていたようである。
面白いことを考えた人がいたものだ。
この時期、筑波学園郵便局は年賀状を出す人が多くやってきて、路駐する人が多い。
駐車場はもちろんあるのだが、数がこの時期は足りてない。
路駐が多くて渋滞になったりして通行の邪魔だったし、車の陰から人が飛び出すこととかもあって危険でもあった。
このドライブスルー方式だと、一瞬だけ止まって出て行くので、通行には大きな影響はないようであった。
自分は基本的に自転車で郵便局に行くのであまり関係はないのだが、交通安全のためにも来年以降もやってもらいたいものである。
デンプンと米粉パン
デンプンはブドウ糖(グルコース)がつながってできた多糖で、直鎖状につながったアミロースと、分岐鎖の多いアミロペクチンから構成される。
ヨウ素で染めると青紫色になるのがアミロースで、赤紫色に染まるのがアミロペクチンである。
このアミロースとアミロペクチンの双方が、米粉パンの性質に関わっている。
以前に書いた記事で、多収穫米の米粉パンについて調べたことを書いた。
用いた品種は、「クサノホシ」、「クサホナミ」、「タカナリ」、「べこあおば」、「べこごのみ」、「北陸193号」、「ホシアオバ」、「モミロマン」、「夢あおば」、である。
ただ調べるだけでは研究にならないので、成分と製パン性との関係も調べることにした。
米にも色んな成分があるが、着目したのはデンプンである。デンプンは米の成分の中で最も多く含まれている成分(乾燥重量の約90%)であることと、ご飯の食味に関わっていることが知られていたからである。
多収穫米のアミロース含量を調べたところ、以下のようになった。
品種名 アミロース含量(%)
コシヒカリ 15.9 ± 0.6
クサノホシ 19.3 ± 0.1
クサホナミ 16.5 ± 0.1
タカナリ 16.1 ± 0.1
べこあおば 19.8 ± 0.2
べこごのみ 18.2 ± 0.1
北陸193号 17.4 ± 0.1
ホシアオバ 20.0 ± 0.1
モミロマン 26.0 ± 0.2
夢あおば 20.2 ± 0.1
「モミロマン」のアミロース含量が高く、他の品種はコシヒカリと同等かやや高い程度であった。
新潟県の高橋らの報告で、アミロース含量が高いと米粉パンが固くなることが書かれていた。このことから、アミロース含量が高い「モミロマン」のパンが堅くなることは最初から予想されていた。
実際に食べてみると、やはりコシヒカリの米粉パンより堅かった。
しかし、もっと固いパンがあった。それは「クサホナミ」という品種の米粉パンであった。
上の図は、焼いてから2日目のパンについて機械で測定した結果であるが、「クサホナミ」の米粉パンは、「コシヒカリ」の米粉パンの約3倍の硬さであった。
食べてみると、焼いて2日目なのに一週間は置きっ放しにしたようなパサパサ感である。
「クサホナミ」の品種育成についての報告書を読むと、炊飯米はコシヒカリほどでないにしても、「日本晴」並みということで、それほど悪くはない。
最初、このパンの硬さの原因が分からず、品種を間違えてしまったのかと心配になってしまった。
原因が何か分からないので、色んな性質を調べてみた。そうしたら、一つだけ「クサホナミ」に特徴的な特性があった。
デンプンの糊化(α化)の温度であった。
品種名 糊化開始温度(℃)
コシヒカリ 66.9 ± 0.0
クサノホシ 66.5 ± 0.1
クサホナミ 71.9 ± 0.4
タカナリ 66.5 ± 0.1
べこあおば 66.5 ± 0.1
べこごのみ 66.5 ± 0.0
北陸193号 66.5 ± 0.0
ホシアオバ 66.5 ± 0.0
モミロマン 66.6 ± 0.0
夢あおば 66.4 ± 0.0
「クサホナミ」 だけ他の品種より5℃くらい高いのであった。
アミロペクチンの鎖が短いと糊化温度が低くなり、鎖が長いと糊化温度が高いことが以前より知られている。
炊飯米だと普通に食べられて、パンにすると硬かったのは、調理してから食べるまでの時間が問題であった。
Umemoto et al (2008) の報告によると、アミロペクチンの長い品種は炊飯直後は硬くないものの、時間がたつとより硬いことが示されていた。
食味検定ではご飯を炊いて冷めてからすぐに食べるのに対し、パンは2日間おいたことから、報告書と自分の結果に差が出たのだろう。
これらの結果について、それなりに詳細に調べ、「The Amylose Content and Amylopectin Structure Affect The Shape and Hardness of Rice Bread」というタイトルで論文発表を行った。
論文にまとめてはみたのだが、結局のところ、普通の品種であれば米粉パンにできるという当たり前の結果を示しているにすぎない。
「クサホナミ」のような品種は主要な一般品種にはなく、米粉麺用の「越のかおり」でその性質を持つものがあるくらいであった。
多収穫米ですら「クサホナミ」以外にはほとんどなかった。
要は、品種改良の中で、まずい性質のものはなくなってしまっていたということだろう。