熊本地震から1ヶ月(その2)
4月15日は職場に行き、被害状況を見てみた。
いくつかの部屋を見て回ったが、特に問題はなかったので、いつものように実験をして帰った。
夜になると、余震もだいぶ少なくなっているように感じた。
「このまま地震も落ち着いてきそうだね」とか話し合っていたのを覚えている。
日付が変わって遅め(午後1時頃)に眠り始めてしばらくした時、突然の大揺れが来た。
心の準備が全くできておらず、けっこうパニックになってしまった。
地震とほぼ同時に停電も起きたので真っ暗な中、家中から物が揺れてぶつかる音や物が落ちている音が聞こえてきて、かなり怖かったのを覚えている。
揺れはしばらくして収まったが、懐中電灯がない。
非常灯を分かるところに常に置いていたのだが、子供がどこかに持って行ってしまっていて使えなかった。ちなみに見つかったのは2日後のことである。
しばらくして停電が回復したので助かったが、そうでないところは大変な思いをしたことだろうと思った。
このときは、各地で大きな被害が出ているとまではまだ知らなかった。
結局のところ、大きな被害はなく、哺乳瓶が一つ割れただけであった。
食器棚に突っ張り棒をとりあえずつけていて助かった。
半日でほぼ元通りになった。
翌日、職場に確認をしに行ってきた。
そうしたら、今度は大きな被害が出ていた。
研究室の居室は本棚が倒れていてガラスが飛び散り、本が散乱していた。
もしこの地震が平日の昼間に起きていたら、大変なことになっていたことだろう。
危ないところであった。
実験室も、ガラス器具が落ちたりしていたし、落ちないにしても棚の中で器具が転倒していたりした。
ただ、試薬類が入った瓶は割れておらず、無事で助かった。
分析機器も倒れたりしていたが、自分のいる研究室では動作しないものはなかったようであった。
週明けの1日で、研究室についてもある程度は掃除とかも終わったのだが、水の問題が起きて実験はしばらく出来なくなってしまったし、生活も少々の不便を生じることとなった。
水は水道から出るのだが、自宅でも職場でも濁った水しか出なくなってしまった。
地震で地下水が濁ったのだそうだ。
生活用水にも使えないし、当然のことながら実験もできなくなってしまったのである。
試しにお風呂にお湯を張ってみたら、底が見えないくらいであり、体を洗っても、なんかざらざらしてしまっていた。
それでも、プロパンガスなのでお湯がでるのはありがたかった。
都市ガスでないので住み始めた時にはちょっと不満であったが、災害に強いという利点があったことを知った。
あと、トイレは自由に使えるので、生活の不便さはそれほどでもなかった。
断水の時の大変さは5年前につくばで経験しているが、トイレ(特に大の方)が使えない状況はけっこうきつかったのを覚えている。
飲み水についてはストックしてあったミネラルウォーターで過ごすことができた。
子供があちこち歩き回るので、バリケード代わりに多めに買っておいたのが意外なところで役に立った。