零細米粉研究員の備忘録

米粉に関することなどをたまに書いていきます

熊本地震から1ヶ月(その1)

熊本地震があってから、約1ヶ月がたった。

自分の住んでいる合志市震源に近かったものの、地盤がよかったためか、益城や南阿蘇と比べたらまだマシ(4月14日に震度5弱、16日に震度6弱)なレベルであった。

それに、5年前の東日本大震災での経験から身についていた生活習慣のおかげで、地震後の生活は他の人よりは多少は楽だったかと思う。

ミネラルウォーターを常にストックしておくようにしていたのと、ガソリンはメーターの半分くらいになったら給油するようにしていたのであった。

 

熊本県に引っ越してから、このあたりの過去の地震を調べてみたことがあるが、明治以後に大きな地震はどうやらないことがわかった。

確かにほとんど揺れを感じたことはなく、テレビを見ていたら「菊池市で震度2」というのがニュースで出ていて、この程度の地震でも報道するのかと驚いたのを覚えている。

そんな訳で、まさか震度6の揺れがこの熊本であるなんて考えておらず、ミネラルウォーターのストックにしても、給油の習慣にしても、何となくやっているだけで、震災への備えというわけでは全然なかったのであった。

 

4月14日の夜は、家族で外食をしていて、少し遅めの帰宅となっていた。

妻や子供は車にまだ乗った状態で、自分だけが先に降りた時に、いきなり大きな揺れがやってきた。

ただ、東日本大震災の時の揺れと比べたら、揺れの程度も揺れた時間も短く、「熊本もけっこう揺れることがあるんだな」と思った程度であった。

妻は、自分が車を揺さぶってふざけていたと勘違いするくらいで、お互いのんきなものであった。

家から外に飛び出してくる人たちを見て、なんでそこまで怯えているのだろうかと不思議に思っていた。

 

家に入っても特に問題なく、テーブルの上にあった紙が落ちていたくらいであった。

とりあえずテレビをつけたら、震度7のところがあったと出ている。

直線距離で10キロくらいしか離れてないところで、そんな大きな地震があったとは信じられなかった。

自分の住んでいるところは、電気・ガス・水道のいずれも大丈夫で、全てが使えなくなった5年前の震災の時はまるで違っていた。

このときはテレビでもまだ被害状況があまり報道されておらず、深刻な状況に陥っている場所があるとは思いもよらず、普通にお風呂に入って寝た。

余震のせいで時々は起きることにはなったが。

 

あのときは、まさかもう一度でかいのが来るなんて、全く予想もしてなかった。