熊本地震から1ヶ月(その3)
16日の本震のあと、水が濁りだしてしまった。
試しに食器を洗ってみたが、なんかざらつく感じがある。
そこで、浄水器で水をきれいにして、その水で最後にすすぐことにした。
浄水器はつくばから持ってきたので取り付けることにしたら、取り付けの部品が足らない。
引っ越しの時にどこかに紛失してしまったのかもしれない。
しょうがないので買いに行った。
出かけたのは本震のあと12時間くらいしかたってない、16日の午後であった。
南側にある熊本市方面は行かず、北側の菊池市方面に向かったものの、やはり開いている店はあまり多くなかった。
開いているホームセンターがあったので入ってみたら、まだ商品が床に落ちていたり、上のガラスにヒビが入っていたりした。
余震が続く中、店の人も大変だったことだろう。
とりあえず買えたものの、途中のガソリンスタンドで不思議な光景を見た。
ガソリンスタンドに長蛇の列ができていた。
数十台は並んでいたと思う。
並んでいる方向を見ると、被災地である益城町、西原村、南阿蘇村とかの方向ではなく、逆の方向から並んでいる車が多かった。
車が並んでいないガソリンスタンドもあったが、そこは売り切れであった。
自分は東日本大震災の後、半分くらいガソリンがなくなったら給油するようにしていたので、まだタンクにガソリンが残っており、当然このときには給油してない。
そうでなくても、東日本大震災の時とは違って震災の範囲は小さいので、そこまで焦ってガソリンを入れなくてもよいと思っていた。
実際、翌日には普通に給油可能なガソリンスタンドが出てきて、さらに2,3日中には見かけた限り全てのガソリンスタンドで給油が可能となっていた。
地震の中心地から少し離れた合志市や菊池市では、ガソリンの本格的な不足は2日くらいであったと思う。
こういうときに給油する人の一部は本当にガソリンがなくなりかけているのだろうけど、けっこう多くの人はガソリンがまだ残っているのにガソリンスタンドに行列しているのだろうと思う。
こういう人たちは、「マイルドなパニック」になっているのではないかと思った。
焦ってはいないが冷静というわけでなく、なんとなく不安になって、急いで必要ではないものを買っているのではないかと考えている。
5年前の震災の時も、ほぼ毎日ガソリンスタンドに並んでいる人がいた。
その人は、「ガソリンがなくなっちゃったらイヤだから、つい並んじゃうんですよね~」とか言っていたのを覚えている。
今後また地震に巻き込まれるかもしれないので、早めに給油するのは今後とも続けていこうかと思う。
熊本地震から1ヶ月(その2)
4月15日は職場に行き、被害状況を見てみた。
いくつかの部屋を見て回ったが、特に問題はなかったので、いつものように実験をして帰った。
夜になると、余震もだいぶ少なくなっているように感じた。
「このまま地震も落ち着いてきそうだね」とか話し合っていたのを覚えている。
日付が変わって遅め(午後1時頃)に眠り始めてしばらくした時、突然の大揺れが来た。
心の準備が全くできておらず、けっこうパニックになってしまった。
地震とほぼ同時に停電も起きたので真っ暗な中、家中から物が揺れてぶつかる音や物が落ちている音が聞こえてきて、かなり怖かったのを覚えている。
揺れはしばらくして収まったが、懐中電灯がない。
非常灯を分かるところに常に置いていたのだが、子供がどこかに持って行ってしまっていて使えなかった。ちなみに見つかったのは2日後のことである。
しばらくして停電が回復したので助かったが、そうでないところは大変な思いをしたことだろうと思った。
このときは、各地で大きな被害が出ているとまではまだ知らなかった。
結局のところ、大きな被害はなく、哺乳瓶が一つ割れただけであった。
食器棚に突っ張り棒をとりあえずつけていて助かった。
半日でほぼ元通りになった。
翌日、職場に確認をしに行ってきた。
そうしたら、今度は大きな被害が出ていた。
研究室の居室は本棚が倒れていてガラスが飛び散り、本が散乱していた。
もしこの地震が平日の昼間に起きていたら、大変なことになっていたことだろう。
危ないところであった。
実験室も、ガラス器具が落ちたりしていたし、落ちないにしても棚の中で器具が転倒していたりした。
ただ、試薬類が入った瓶は割れておらず、無事で助かった。
分析機器も倒れたりしていたが、自分のいる研究室では動作しないものはなかったようであった。
週明けの1日で、研究室についてもある程度は掃除とかも終わったのだが、水の問題が起きて実験はしばらく出来なくなってしまったし、生活も少々の不便を生じることとなった。
水は水道から出るのだが、自宅でも職場でも濁った水しか出なくなってしまった。
地震で地下水が濁ったのだそうだ。
生活用水にも使えないし、当然のことながら実験もできなくなってしまったのである。
試しにお風呂にお湯を張ってみたら、底が見えないくらいであり、体を洗っても、なんかざらざらしてしまっていた。
それでも、プロパンガスなのでお湯がでるのはありがたかった。
都市ガスでないので住み始めた時にはちょっと不満であったが、災害に強いという利点があったことを知った。
あと、トイレは自由に使えるので、生活の不便さはそれほどでもなかった。
断水の時の大変さは5年前につくばで経験しているが、トイレ(特に大の方)が使えない状況はけっこうきつかったのを覚えている。
飲み水についてはストックしてあったミネラルウォーターで過ごすことができた。
子供があちこち歩き回るので、バリケード代わりに多めに買っておいたのが意外なところで役に立った。
熊本地震から1ヶ月(その1)
熊本地震があってから、約1ヶ月がたった。
自分の住んでいる合志市は震源に近かったものの、地盤がよかったためか、益城や南阿蘇と比べたらまだマシ(4月14日に震度5弱、16日に震度6弱)なレベルであった。
それに、5年前の東日本大震災での経験から身についていた生活習慣のおかげで、地震後の生活は他の人よりは多少は楽だったかと思う。
ミネラルウォーターを常にストックしておくようにしていたのと、ガソリンはメーターの半分くらいになったら給油するようにしていたのであった。
熊本県に引っ越してから、このあたりの過去の地震を調べてみたことがあるが、明治以後に大きな地震はどうやらないことがわかった。
確かにほとんど揺れを感じたことはなく、テレビを見ていたら「菊池市で震度2」というのがニュースで出ていて、この程度の地震でも報道するのかと驚いたのを覚えている。
そんな訳で、まさか震度6の揺れがこの熊本であるなんて考えておらず、ミネラルウォーターのストックにしても、給油の習慣にしても、何となくやっているだけで、震災への備えというわけでは全然なかったのであった。
4月14日の夜は、家族で外食をしていて、少し遅めの帰宅となっていた。
妻や子供は車にまだ乗った状態で、自分だけが先に降りた時に、いきなり大きな揺れがやってきた。
ただ、東日本大震災の時の揺れと比べたら、揺れの程度も揺れた時間も短く、「熊本もけっこう揺れることがあるんだな」と思った程度であった。
妻は、自分が車を揺さぶってふざけていたと勘違いするくらいで、お互いのんきなものであった。
家から外に飛び出してくる人たちを見て、なんでそこまで怯えているのだろうかと不思議に思っていた。
家に入っても特に問題なく、テーブルの上にあった紙が落ちていたくらいであった。
とりあえずテレビをつけたら、震度7のところがあったと出ている。
直線距離で10キロくらいしか離れてないところで、そんな大きな地震があったとは信じられなかった。
自分の住んでいるところは、電気・ガス・水道のいずれも大丈夫で、全てが使えなくなった5年前の震災の時はまるで違っていた。
このときはテレビでもまだ被害状況があまり報道されておらず、深刻な状況に陥っている場所があるとは思いもよらず、普通にお風呂に入って寝た。
余震のせいで時々は起きることにはなったが。
あのときは、まさかもう一度でかいのが来るなんて、全く予想もしてなかった。
「おーしゃんのーす」の設備について
オーシャン東九フェリー「おーしゃんのーす」設備について少し紹介する。
これは2015年5月に乗ったときの状況であるので、現在はどうなっているか実のところ分からない。
おーしゃんのーすの船内には食堂はないので、持ち込みをしてないと食事は自動販売機での食べ物となる。
飲食物の持ち込みについて制限があるという話は聞いていない。
自販機の食べ物には以下のようなものがあった。
・パン
・ドリア、リゾット
・カップラーメン
・焼きそば、丼、いなり寿司
・サンドイッチ
・ミートソース、カレー、ピザ
・アイスクリーム
・ジュース、牛乳
・つまみ
自販機のみとはいえ、食べ物の種類がけっこうあったので、自分としては食べ飽きることはなかった。
アルコールの自販機もあったが販売はしておらず、税務署の許可が出るまでは販売は行わないことが書かれた張り紙があった。
そのせいで、自分で持ち込みをすることになった。
後で車に取りに戻れないので一度に全部運ぶ必要があり、荷物がずいぶんと重くなってしまった。
ビール類などは受付で預かって冷蔵庫に冷やしてくれるサービスもやっていた。
自分はビールを持ち込んだが氷も準備して冷やしており、初日の夜で全部飲んでしまったので活用はしていない。
ちなみにビールとかは文化堂というところで購入している。
今頃は船内でお酒も買えるようになっているだろうか。
水、お湯、お茶の出る機械もあり、無料で使える。
お茶も買っていたが、買う必要はなかったことが分かった。
割り箸、紙皿、スプーンについても準備されており、醤油やマヨネーズなどの調味料もある。
ただ、製氷機とかないので、氷がほしければ売店で購入する必要がある(確か200円)。
初日の夕食は持ち込んだ弁当、朝食には持ち込んだパンを食べたが、2日目お昼は自販機で購入することにした。
食べたのは、新製品という肉巻きおにぎりである。
冷凍のいなり寿司+巻き寿司とかいう珍しいものがあり、こちらを食べるかどうか迷ったが、肉を食べたい気分だったので肉巻きおにぎりとした。
買った時には冷凍状態なので、専用の電子レンジで温めて食べることになる。
けっこう美味しかったが、量が少なかったので、お菓子も買って食べた。
ちなみに、普通の電子レンジもあった。
船内に売店がありお菓子、雑誌、歯ブラシ等が販売されているが、船内では浴衣やパジャマの準備はないので、持参する必要がある。
自分は一通り持ってきたので問題なかった。買ったのはお菓子くらいであった。
スリッパはあり、自由に使うことができる。
自分でスリッパも準備していたが、持ってくる必要がなかった。
貴重品のコインロッカーがあり、無料で使うことができる。
念のため、自分も財布を入れるのに使わせてもらった。
普通のコインロッカーもAデッキのお風呂近くにあったが、こちらは有料である。
自分が見たときには使っている人はいなかったし、自分も使ってない。
浴室とシャワー室があり、どちらも24時間使うことができる。
中にはボディーソープ、リンスインシャンプーがある。
タオルは置いていないが、売店で購入することもできる。
カミソリとか化粧水、乳液なども売っているようだ。
お風呂の洗い場は全部で5カ所でちょっと少ないようにも思うが、自分が乗ったときには乗客が少なかったためか、他に誰もいなかった。
湯船はちょっと熱かった。
コインランドリーと乾燥機がそれぞれ2台ある。
コインランドリーは200円、乾燥機は30分で100円であった。
洗剤は準備されていた。親切なことだ。
公衆電話はあるが、テレフォンカードは使えなかった。
ずっと使ってないカードを使う機会になるかと思ったが、当てが外れてしまった。
ただ、船で移動中でも意外と携帯電話は通じたので、携帯電話で妻と話することができた。
海の上なので時々は通信が切れてしまったが。
モバイルルータも持って行ったが、Wimaxはほとんどの場所は圏外で使えなかった。
LTEはだいたいの場所で通じたので、ネットはどうにかなったが、高知県の沖あたりではLTEでも不通になる箇所があった。
静岡県沖とかでもネットに繋がらないかもしれないが、夜中はネット接続はしてないので、この辺はよく分からない。
35時間くらい船内にいた中で、これがなくて不便であったことは特になかった。
漫画がたくさんおいてくれればありがたいと思ったことと、酒類の販売をしてほしかったくらいだろうか。
フェリー「おーしゃんのーす」乗船記
この4月に転勤した時には、引っ越し費用等の理由で車は持ってきてなかったが、生活がかなり不便なので、1月半ほどしてから車も移動することになった。
しかし、つくばから熊本は1200キロもある。
これまでに、新潟まで約350キロまで往復で運転したことはあったが、1000キロ以上の運転は未知の領域である。
ずっと運転するのはちょっと無茶かと思い、東京から北九州までオーシャン東九フェリーを利用して持って行ってもらうことにした。
初めは車だけ運ぶ予定であったが、車1台の送料に1人分の運賃も含まれているらしいので、自分も乗っていくこととした。
有明発19時半、門司着2日後の6時の、30時間以上の船旅である。
乗ったのは5月23日であるが、ちょうどキャンペーン期間ということで正規料金より少し安くなり、プリウスの運搬で33000円であった(通常料金は37750円)。
有明フェリーターミナルに着いて、係員の誘導にしたがって駐車し、車検証を持って窓口に向かった。
受付を済ませると、誘導に従って車に乗って船の側面から中に入った。
車は駐車スペースに止め、荷物を持って、入り口から客室に移動した。
お酒が館内で買えないことは予約をしたときに聞いていたので、あらかじめ近くにあるスーパーマーケット(文化堂)で買っておいたが、おかげでかなり重くなってしまった。
船内にあった張り紙によると、お酒類が販売できないのは、どうやら税務署の許可が下りてないかららしい。
入った後は下船まで車に戻ることができないので一度に全部の荷物を持っていくことになるのだが、階段の登りは少々きつかった。
自分はお酒を買うときに氷を袋に詰めて保冷剤代わりにしていたが、少量であればお酒はを売店で預かって冷蔵庫で冷やしてくれるらしい。
乗客がいることができる場所はBデッキと、その上にあるAデッキとなる。
Aデッキにはお風呂、コインランドリー、コインロッカー、ゲームコーナーなどがある。
おーしゃんのーすにはレストランがない代わりに、複数の自動販売機があって、1日半の航海では特に食べものに困ることはなかった。
Bデッキは建物でいうと3階くらいの高さに相当するようであった。
ベッドや自販機、売店、トイレなどはBデッキにあり、基本的にはBデッキで過ごすこととなる。
おーしゃんのーすは全席が二段ベッドであるが、スカイルームという場所があり、雑魚寝ができる。
中に枕と毛布が置かれている。ここで夜に寝ている人が一人いた。
広いところで寝るのが好きな人はこちらで寝るのもよいだろう。
ベッドは20人部屋であるが、8人の区画が二つと、4人の区画が一つで20人部屋となっている。
自分は4人の区画にいて、自分以外にはもう一人だけいた。
時期が外れていたので人が少なかったようだ。
ちなみにコンセントは一つしかないので、充電には少々不便で、共用スペースで充電することもあった。
全部が大部屋ではなく、二人部屋もある。
こっちの方に乗りたくもあったが、予約の時には指定できなかった。
二人で予約したときに乗れるのだろう。
午後7時半過ぎに出航となる。
波は穏やかだったので大きな揺れはなかったが、エンジンの影響からかけっこう小刻みに震える。
砂利道を来る車に乗っているような感覚であった。
映画「タイタニック」を見たときには船が震えるような感じはなかったが、実際にはけっこうガタガタしていたことだろう。
東京湾を移動している間は、けっこう街の明かりが見える。
海から見える夜景もきれいなものである。一人じゃなければもっとよいのだろうが。
夜遅くになると外に出られなくなり、あとは船内で過ごすことになる。
たいていの人は、Bデッキのオーシャンデッキというところと、スナックコーナーというところにいた。
外が見えるスナックコーナーの方に人が多かったように思う。
電源もあって充電も出来る場所もあったし。
Aデッキにもオーシャンホールというところがあったが、こちらはあまり人がいなかった。
出航前からけっこう多くの人がお酒を持ち込んでいて、夜中まで飲んでる人もいた。
自分も外を見ながら、持ち込んだビールを飲んだ。
翌朝、外を見ると紀伊半島が見える。
実家がその辺にあるはずなので立ち寄ってもらいたかったが、もちろん寄港することはなく、そのまま進み続ける。
午後1時過ぎ、徳島港に到着。
ここでかなりの人が降りていく。
東京から北九州まで行く人はあまり多くないようだ。
船の側面の出口から車が出ていが、前面からもトラックとかが出て行っていた。
午前中にもお酒を飲んでいたグループがあったが、徳島から先には見えなくなっていたので、下船したのだろう。
飲んでいなかった人が運転したものと信じている。
徒歩で来た人は、デッキのところから降りる。
ただ、自分が見たときには2,3人しか降りてない。
ほとんどの人は車でやってきたということだろう。
徳島では1時間ほど滞在して出航する。
滞在中に船の外に出たかったが、だめであった。
徳島から乗り込んできた人もいるが、降りた人の方が多く、船内の人は減っていた。
子供たちが数人乗ってきたので、船内は賑やかではあった。
徳島から門司までは瀬戸内を通らず、高知県の方を回っていく。
瀬戸内の方が近道に思うが、なぜこちらを回るのかはよく分からない。
大きい船にはこちらの方が通りやすいのだろうか?
高知県あたりは大きな上下の揺れが出てきて、少しだけ気分が悪くなった。
ただ、周りを見ても気分が悪そうな人がいなかったから、自分が船酔いしやすい体質だったのだろう。
ネットしたり本を読んだりしているうちに、日の入りの時刻となり、外が赤く染まってきたので外に出た。
海に沈む夕日を見るのは初めてであった。
きれいではあったが、船が移動中のために外は風が強く、肌寒さのためにあまり長時間は見ていられなかった。
途中からは中に入って窓から眺めることとなった。
夜は特にすることもないのでベッドでごろごろしているうちに寝てしまった。
翌朝5時過ぎに門司港に近づき、しばらく待った後で車とともに船外に出る。
これで、35時間ほどの船旅は終わった。
乗る前はずいぶん長い移動時間かと思ったが、意外と早く終わったように思う。
考えてみたら、休日にだらだら過ごしているうちに土日が終わっていたことはよくあった。
船での移動は時間はかかるが、寝転びながら移動できるのはいいものである。
次の転勤で車を動かすことがあれば、また利用してみたいものだ。
引っ越し費用の謎
4月初めに、茨城県つくば市から熊本県合志市に引っ越しを行った。
転勤を命じられたのは2月。引っ越しは4月1日から10日の間に行わないといけない。
4月上旬の引っ越しについて、数社から見積もりを数社からとったが、どの会社もすごい価格であった。
最初に提示された価格は、一番安いので75万円、一番高いのだと118万円であった。
つくば市から合志市は1200キロくらいはあるが、それにしても高すぎる。
そもそも電話の段階で断られた会社も複数あったりする。
結局、見積もり合わせをした中で安かった会社とさらに交渉し、ある程度下げることはできたが、それでも支給された赴任手当よりも遙かに多額となった。
知り合いで7回引っ越しをした人がいたが、いったいどれくらいの費用となったことだろう?
同時期に北海道から来た人がいたので、引っ越し費用がいくらだったか聞いてみた
そしたら、50万円でおつりが来るような価格だったらしい。
北海道からの方が1000キロくらいはさらに遠いはずなのに、なぜ安いのか分からない。
引っ越しをした時期も同じくらいだし。
どのような算出根拠があるのかさっぱり分からない。
誰か教えてほしいものだ。
それにしても、人事異動が基本的には4月1日付なのは費用の面ではけっこうきつい。
せめて4月10日付とか20日付とかの人事異動とかにも導入してほしいものだ。
つくば市から合志市へ
2015年4月に、3年間勤めた本部を離れて研究に復帰した。
復帰したのはいいが、つくばから離れてしまうこととなり、熊本県合志市に住むことになった。
熊本県にはこれまで阿蘇に旅行に行ったことしかなく、合志市には行ったこともなかった。
そんな市があることも転勤が決まるまで知らなかったりする。
赴任した日が初めて合志市を訪れた日でもあった。
合志市に来て違いを感じたことを少し書いてみる。
・渋滞がけっこうある
つくばも朝夕はかなり渋滞するが、合志市はもっと渋滞のレベルが高いように思う。
熊本からバスに乗って合志市に入ったが、10キロ少々の距離なのにずいぶん時間がかかったのを覚えている。
今の住まいは国道387号線の近くなのだが、毎日朝は北向きがずっと渋滞し、夕方は南向きが渋滞しているのが見える。
つくば市の人口は20万人くらいで、合志市は6万人弱と少ないのだが、なんで渋滞が頻繁に起きるのだろう?
道路行政がよくないという人もいたが、そんなにものすごい道路に差があるようには見えてない。
・市内に警察署がない
市役所で引っ越しの手続きをした後、免許証の住所変更もすることにした。
その時に近くの警察署の場所を聞いたら、大津(おおづ)警察署に行ってほしいと言われた。
合志市内にないのか聞いたら、「ない」とのことだった。
まさか市内にないとは思わなかった。
自分の実家のある市は人口が2万人を下回ったけど、警察署はさすがにあった。
なんでここにはないのか分からない。
市役所から警察署までの距離は10キロ以上はあると聞いたが、転居した日にはまだ車も自転車もない。
公共交通機関で行く方法はないか聞いたら、行けなくもないが難しいということである。
市の担当者が色々と調べてくれて、菊池市の警察署ならバスで一本で行けるという話を教えてもらい、なんとか手続きをすることができた。
ただ、菊池警察署の人から教えてもらった最寄りのバス停は、自分の乗ったバスは止まらないバス停で、終点の菊池温泉からけっこう歩くことにはなった(最寄りのバス停は合志方面からのバスが通らない場所だった)。
・水道の質がよい
つくばに住んでいたときには水道水の臭いがけっこう気になっていたが、合志の水は臭いを感じない。
浄水器もつけずに飲んでも全く問題ないのがよい。
水の硬度は高いみたいで(硬水だという話も聞いた)、ガラスを洗った後で水気が残っていると白い跡が残ることがある。
水量も豊富らしく、職場の人に聞いてみたら、取水制限も過去に一度もなかったらしい。水害もけっこうあるらしいけど。
自分の出身地は全国有数の豪雨地帯だが、取水制限は過去にあった。
・ゴミの分別が細かい
つくば市ではプラスチックゴミは燃えるゴミであるが、合志市では別に分けてリサイクルしている。
15年もつくばに住んでいて、ビニールとかはそのまま捨てるのに慣れていたので、最初はかなりめんどくさかった。
やってみると、燃えるゴミがかなり減ったので、確かに意味のあることだと思った。
ただ、ビンや缶、段ボール等の一部の資源ゴミについては、収集が月に1回なのはちょっと不便である。
引っ越した直後に大量の段ボールゴミが出たのだが、なかなか捨てることができなかった。
あと、段ボールまで袋に入れて出さないといけないのも不便であった。
これはそのままでも出せるようにしてほしいものだ。
・納豆のたれが甘い
合志市に引っ越してきて初めて九州の納豆を食べてみたら、なんだか甘かった。
パッケージにも「あまかたれ」と書いてある。たぶん甘いたれという意味だろう。
慣れればもちろんおいしいのだが、最初はけっこう違和感を感じてた。
納豆のたれに限らず、甘い味付けの食品が多いように感じている。
それに、減塩の食品がすごく多い。
外食しても、薄味のが多いようにも思う。
塩分を気にする人が多い場所なのだろうか?
・くまモンだらけ
どこに行ってもくまモンを見かけるような気がする。
空港からのバスとか、近くを走る電車までくまモンのイラストが張ってあった。
熊本といえばくまモンの本場ではあるが、外に出ると見かけない日はないくらいにどこにでもある。
せっかく熊本に来たので新聞は熊本日日新聞というのにしているが、漫画までくまモンのがあった(4コマ漫画が2つあって、一つがくまモンの漫画)。
熊本県民のくまモンへの愛はすごいものだと感心する。
とりあえず本物を一度見てみたいものだ。
・本屋が少ない
住み始めて半年たつが、まだ市内の書店が見つけられない。
今のところ、隣の菊陽町や熊本市の書店に車で買いに行くか、ネットで買っている。
本のない市町村の一覧には合志市はなかったはずので、どこかにあるとは思うのだが、中古の本を売る店しかまだ見つかってない。